芸能人とがん:逸見政孝さん

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1993年9月6日午後3時記者会見
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siiです。芸能人の方にシフトして引き続き、がんについて考えています。

注意:本シリーズ・本記事は、がん(癌,ガン,cancer)についての医療的情報を確実性をもって伝えるものではありません。

今回は、逸見 政孝(いつみ まさたか1945-1993,享年48歳)さんについて取り上げさせて頂きます。

 

 

時系列

逸見政孝さんのがん治療について、時系列は以下のようでした。

1979-1980年 2歳年下の実弟・憲治さんが、スキルス胃癌で半年間の闘病の末、他界。政孝氏本人も、このことも踏まえ毎年の健康診断は欠かさなかった。

1993年1月18日 腹部みぞおちの痛みから、前田外科病院(現:赤坂見附前田病院)に、年に1度の定期健診も兼ねて受診。その際、担当医から胃癌(スキルス性胃がん)の診断が下された。担当医「あくまでも初期の癌ですから、手術すればすぐに完治しますよ」とのこと。

1993年2月4日 手術(前田昭二=院長はじめとする執刀)。胃の4分の3と周囲のリンパ節、腹膜の転移病巣を切除する3時間程度の手術。本人ではなく夫人の晴恵さんにのみ「ご主人の病状は、実際は初期の癌ではなかった。ギリギリの所ですべての癌細胞を取り除いたんですが、残念ながら5年先の生存率はゼロに近いでしょう」と宣告していた。この手術の時点ですでに癌が胃に近接する腹膜にまで転移していた。

1993年2月25日 退院。十二指腸潰瘍と偽りの病名を発表。しかし抗がん剤治療を開始、続行。

1993年5月下旬ごろ 腹膜播種の再発。メスを入れた手術痕の線上がケロイド状に膨れ始める。その突起物が次第に大きくなり、やがて服を着る時に邪魔になるほどになっていた。

1993年8月12日 その「突起物を除去する」という名目で2度目の手術を受けたが、癌はすでに腹腔全体に広がるまでに進行しており、もはや手のつけようがない状態だった。

1993年9月3日 ようやく前田外科病院(現:赤坂見附前田病院)と院長前田昭二に不信感を抱きセカンドオピニオン。東京女子医科大学病院。羽生冨士夫教授をはじめとする医師団「何故ここまで放っておいたのですか!?」と非難。

1993年9月6日 トップ画像の記者会見。スキルス性胃がんを公表。

1993年9月16日 東京女子医科大学病院にて、13時間にも及ぶ大手術。

1993年10月23日 手術後一旦回復の兆候は見られたが、突然激しい腹痛を起こし、食べ物を嘔吐。一時帰宅中止。

1993年12月16日 腸に転移発見。

1993年12月25日午後0時47分 家族らが見守る中、末期のスキルス胃癌・再発転移による癌性悪液質のため、東京女子医科大学病院で死去。48歳没。

1993年の1年以内という非常に短い出来事だったことがうかがえます。

 

医者の責任は職務を遂行している限りは問われない

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逸見政孝さんに対して誤診をした医師は前田昭二(まえだ しょうじ=上掲画像です。周知のことかも知れませんが、医師は、誤診や手術失敗に対して”基本的に”処罰を受けることはありません。

参考:松井宏樹(まついひろき)が逮捕

 

他方、逸見政孝さんの話で”正義の味方”のようにして登場してくる東京女子医科大学ですが、下記の不正(学長単独犯行でしょうがガバナンス不備という見方もできます)を行っています。

参考:東京女子医科大学理事長が逮捕される(2025年1月13日)

 

色々言いたいことはありますが、極端な考えとして以下も参照されます。

天川由記子Blog:金儲け主義の危ない病院

 

とりあえず本件については一旦、これで締めさせて頂きます。

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本記事はここまでになります。最後までお付き合い頂き、ありがとうございました。m(_ _)m

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